クレジットカードで気をつけたいこと

 クレジットカードを使い出すと、ポイントが貯まるので、ついつい買い物をしてしまいそうだ。クレジットカードは便利だけれど、このことは気をつけなければと思っている。現金を支払えば自分の払う金額に対してそれが多いのか、少ないのか即座に感じることができるけれど、クレジットカードの場合、払う額が多くても少なくてもぴんと来ないのだ。
IDカードと言うと、運転免許証が一般的ではないかと思います。クルマを運転する時は、もちろんですが、クレジットカードを作る時や役所で本人確認をする時などは、必ずIDカードの提示を求められます。顔写真付きでいつも携帯することが出来ます。同じようなIDカードでパスポートもあります。運転免許証よりもサイズが大きく、携帯するのには少不便なように思います。
 ◇最悪を想定、新時代に対応 誇りと使命感持ち任務に
 「伝統」と「精鋭」という言葉で表現される県警第1機動隊(通称・一機(いちき))。その前身にあたる国家地方警察県機動隊は、1952年に創設された。成田空港建設関連の警備強化などを目的に75年に第2機動隊が増設され、一機の名称が誕生した。
 時代ごとに変化する犯罪に対応するため、一機に特別任務を担う最初の小隊が設置されたのは65年だ。テロなどから要人を守る警護小隊の設置を皮切りに、78年には爆発物等処理班、95年広域緊急援助隊予備隊、翌年の銃器対策部隊と続き、今年は右翼団体などの街宣活動を取り締まるNE部隊も新設された。
 こうした部隊の増加とともに、成田空港関連警備の枠を超え、一機の主要任務も多様化。今年3月には東日本大震災発生を受け、初めて県外への災害派遣も行った。「成田問題を抱え県外から応援をもらっていた県警にとっては、象徴的な出来事」と一機の小出寛副隊長(51)=警視=は振り返る。
 しかし、装備の近代化や任務の多様化を経ても、県警機動隊組織の発展に大きな影響を及ぼし、多くの犠牲が払われた成田闘争の歴史は、一機を含む機動隊に多くの教訓を残した。そして、当時を知る数少ない現役警察官たちは、つらい記憶と向き合いながらも、犠牲を無にしないため、闘いの記録を語り継ぐ努力を今も続けている。
   ◇  ◇
 「ジュラルミンの盾にぶち当たった火炎瓶の炎が、盾の両側を巻くように来たと思ったら、顔の横が真っ赤に燃えていました」
 87年11月24日午前7時。当時、警部で第2機動隊中隊長だった現警備部参事官の是沢政和さん(58)=警視=は、捜索差し押さえ令状を手に、空港2期工事予定地内にあった建設反対派最大の拠点「木の根団結砦(とりで)」の前にいた。周囲は金属板の塀で囲まれている。エンジンカッターで扉をこじ開けようとしたところ、高さ5メートルほどの監視塔に立てこもっていた建設反対派支援メンバーが、隊員めがけ火炎瓶を投下したのだ。
 ヘルメットの左耳を覆う垂れが燃える。火を消そうと軍手でたたくが消えない。「中隊長燃えてます!」「わかってる!」。訓練で何度も後輩たちに教えた手順のはずなのに火が消せない。とっさに後方にいた隊員が、是沢さんの体を押さえつけ、地面に押し倒した。冷静さを取り戻し、顔を地面にすりつけ何とか消火した。
 是沢さんは顔の左側に全治3週間のやけどを負ったが、指揮官である是沢さんを盾で守っていた部下の巡査は、より重度のやけどを負った。首や顔全体が焼けただれ、全治3カ月の重傷だった。
 当時、是沢さんが指揮していた中隊には、レンジャー部隊とレスキュー部隊の2小隊が所属。特殊急襲部隊(SAT)がなかった当時、レンジャー部隊は「県警最強」とうたわれた。だが、作戦初日に負傷者が続出。クレーン車につるしたバケットから監視塔に飛び移るという、訓練さえしていなかった強引な突入作戦で、レンジャー指揮官の小隊長までもが負傷する非常事態に陥った。機動隊は一時撤退せざるを得なかった。
   ◇  ◇
 初日の作戦を終えた24日午後6時過ぎ、けがを押して任務にあたった是沢さんは、出動服のまま、成田市内の病院に赴き、巡査を見舞った。
 病室に入るまで「部下を大変な目に遭わせてしまった」と自責の念に駆られていた是沢さんに、巡査は開口一番「中隊長申し訳ありませんでした。私が守れずにすみませんでした」と頭を下げた。
 「これが機動隊員の心なんだと、胸が熱くなって何も言えなかった」。是沢さんは今でも目を潤ませる。そして「部下を二度とこういう目に遭わせてはいけない」と誓ったという。作戦は3日間続き、26日までに計7人を公務執行妨害や火炎瓶法違反容疑などで逮捕したが、隊員にも多くの重軽傷者が出た。
   ◇  ◇
 「部下にけがをさせた私は決して優秀な指揮官ではない」と是沢さん。その後、関東管区機動隊中隊長や成田国際空港警備隊など機動隊勤務を重ねたが、成田闘争の教訓と後悔の念を忘れることはなかった。
 「訓練でできないことは絶対現場ではできない。現場でできるのは、せいぜい訓練の半分だ」。今年5月に一機隊員に対し行った講義でも、是沢さんは自身の経験を率直に語り、反省から学んだ教訓を伝えた。
 「私は今でも腕時計の文字盤を手首の下側に向けて着けています」と是沢さんは腕時計を示す。手の甲に防具の小手を着ける機動隊員は、現場で時間が確認できるよう、手首の甲側ではなく、内側に文字盤がくるように腕時計を身に着ける。その習慣を今も守り続けているというのだ。「たとえ現場を離れても、県民を守る最後の砦として、犠牲を払い危険に立ち向かってきた機動隊員の心を忘れてはいけない、そう思うのです」
 成田闘争に伴う衝突では警察官6人が殉職し、3841人が負傷。現在の県警機動隊員数の倍近い数の犠牲が払われた。一方で、ある県警幹部は「今は刑事や生活安全など、それぞれの部署で活躍する幹部たちも、昔は盾を持って現場に行った機動隊員だった。あの時同じ弁当を食べ闘った絆が、警察官同士の一体感や部門間の垣根の低さといった他県にはない千葉県警の長所を生んでいる」と複雑な思いを語る。
 是沢さんは言う。「成田で培った経験やノウハウを伝承していることが、県警機動隊の特色。常に最悪の事態を想定した厳しい訓練を繰り返す伝統を、これからも守り続けてほしい。そうすれば被災地への災害派遣で若い隊員が活躍したように、新たな時代の変化にも対応できる」
   ◇  ◇
 今月10日午前9時、千葉市美浜区の一機庁舎前には、隊員44人と県内各署から集められた56人の計100人で構成する災害派遣部隊の隊員たちの姿があった。
 出発式で、整列する隊員たちを前に、一機の渡辺貴史隊長(54)=警視=はこう呼びかけた。「県警代表という誇りを持ち、使命感を持って任務にあたってほしい」。指揮官の激励に表情を引き締めた隊員たちは、支援を必要とする人たちが待つ宮城県へと向け出発した。=おわり(この企画は中西啓介が担当しました)

10月19日朝刊

【関連記事】
人事:警察庁
警視庁:元力士のお巡りさん奮闘 東京湾岸署で勤務1年
特集:ベトナム・ハノイで世界のお巡りさんコンサート 音楽で平和つなぐ
人事:警察庁
原子力災害訓練:府警や陸自、防護服で負傷者救出−−舞鶴 /京都